ほのか | 留学を夢見る大学生の日記

4か国に留学した大学生が、経験や現在や夢や日々のことを残していく日記

震災の報道を見続けると、こころを病んでしまう。メンタルヘルスを保つためにできることは、報道と距離を保つこと。惨事ストレスとProbable PTSDの話

災害の報道でこころを病んでしまうことがある

「惨事ストレス」という言葉をご存じだろうか。日本では松井豊先生等により研究されている、災害などの悲惨なできごと(惨事)を受けた際にこころがどう反応するかという、社会心理学や臨床心理学での用語だ。災害が起きると、被災者が精神的に大変な思いをすることは知られているが、報道により被災地から離れたところにいても、つらい思いをすることも、最近知られてきた。

惨事ストレスを受けると、精神科などに行くことになる可能性がある。そうなった場合、簡単には治らない。骨折なら、たとえば2週間で日常生活が取り戻せ、1か月で治るといった目安がある。惨事ストレスなどの精神症状にはそういったものが一切ない。そのため、余計に先が見えないから病んでしまうのだ。

災害などの悲惨な出来事が起きると、日本では阪神淡路大震災以降、心的外傷後ストレス障害(PTSD)のことが言われるようになった。阪神淡路大震災は、ボランティア活動が活発化したことと、心的外傷後ストレス障害の影響が言われるようになったことで裕めな悲惨な災害であるが、最近になってようやく、「心的外傷後ストレス障害とは診断されないけれども、こころを病む人のこと」が表に語られるようになった。

そのひとつが、災害の報道をきいたことにより、こころを病んだひとたちのことだ。

惨事ストレスやProbable PTSDが心的外傷後ストレス障害(PTSD)と異なるところ

最近、臨床心理学や精神医学の中で、数件しか論文がヒットしない新しい概念だが(私は医中誌やPubMedなどのライセンスを持っていない貧しい学生なので、Google スカラーで許してほしい)新しい概念がある。

Probable PTSDという概念がある。

これは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の診断基準を満たすものの、「実際に自分がその惨事を直接体験していない」というただひとつの点において、心的外傷後ストレス障害と異なるものである。たったそれだけのことで、公的支援から一切距離を置かれることになるのだから、余計に報道によるメンタルヘルスの悪化が恐ろしいことだと気づくだろう。アメリカで発行されているDSM-5-TRにより、日本でも精神障害が診断される。たとえば、「心的外傷後ストレス障害」はDSM-5-TRに載っているので、その条件にあてはまる症例があればそう診断できる。そこに載っていない症状を呈する患者は、「患者」ですらない。下手なことを言ってしまえば、詐病と変わらないのだ。

Probable PTSDは診断名ではない。診断名であった場合、診断書が書かれ、必要に応じて自立支援医療や精神障害者手帳が発行される。しかし、これらは診断名ではないため、そういった公的扶助の範囲から漏れてしまうのだ。(実際の臨床現場では「気分障害」など似ているような何かを載せることが多いだろう)

ただ、この言葉が示すのは、心的外傷後ストレス障害と似たような(あるいは、ほとんど同じような)症状を、報道を見ているだけでも実際に感じてしまうことがあるというのだ。

報道を見て精神障害にならないためにできること。2つの予防策。

これを予防するには、報道を見ないこと、見たとしても一定の距離を保つことである。

「私には関係ない」と他人事にするのは違うし、それができているほど冷たい人であれば(実際は「冷たい」ひとではなくただアドラー心理学で言わせれば「課題の分離」ができているひとなのだろう)精神は病まないはずだ。

それができないからあなたと私は困っているのであり、それができていれば苦労しないだろう。一定の距離を置くことが難しいから、全ての悲しいことを背負って、それでも立とうとする。それでもそれができないから、結局倒れてしまう。そういうことだと私は理解している。

そこで私達ができるのは、報道を最初から見ないようにすること。意識的に避けること。ピーマンが嫌いなひとがピーマンを食べないように、報道でこころを病むくらいなら報道を見ないようにしようと努めることだ。メンタルヘルスを犠牲にしてまで得られるものはひとつもないと、私には断言できる。メンタルヘルスを犠牲にして得られたものがあったとすれば、それはメンタルヘルスの価値には遠く及ばないものだ。だから、メンタルヘルスを大事にしてほしい。メンタルヘルスを大事にすることを罪だと思わないでほしい。それが欠けていたら、結局他人を助けられない。

あるいは、見たとして、「私には私の日常がある。これを保つこと、そして健康なメンタルヘルスを維持することだって被災地支援になる」と肝に銘じて、一定の距離を保ち、日常を保つことだ。実際、被災者においても日常生活を保つことは有効だと述べている記事がある(イタリア語)。

Terremoto, 5 consigli su come gestire l'ansia e la paura dopo un sisma

「5. 日常生活を取り戻す
  地震の警報が鳴り止んだら、このような刺激的な出来事があなたの生活に影響を与えないよう、できるだけ早く日常生活を再開してください。」

(1分でした翻訳なのでクオリティは適当です)

報道を見てこころを病んでから精神科に通い続けている私の話(長文)

先に言っておくが、私の日常生活はすっかり正常のものとなり、ただ維持するために定期的に病院に行っているだけなので安心してほしい。正直もう行かなくても良いくらいだし、正直そうしようと思っているところだ。そして、これらのことは日常生活に影響を及ぼさなくなったので、留学にだって行けるし、なんの問題もなく現在大学に行けている。高校に通えなかった頃が嘘のようだ。

まず、私が報道を見たのは2016年のことだが、そのとき私は中学3年生だった。受験期だったので報道とは距離を置いていたが、「起きたことを正確に理解することも被災者支援だ」と思い、高校受験に合格したら、1日2時間程度、イタリア語(当時はできなかったので英語からの翻訳)と英語と日本語で片っ端から記事を読み漁った。その結果、校内の英語の成績が常に300人中50位以上をキープしていたのだが、その話は置いておこう。

それから精神科に通い、いくらかの診断を受けたがそのどれもしっくりくるものではなく、結局障害者手帳はおろか(そもそも申請して通るかどうかは知らないが)自立支援医療も申請していない。これが「私がうつ病だと思っていて、実際にDSM-5-TRにうつ病という病気があって、精神科医からもうつ病と診断されている」ならば、私はとっくにこれらの公的支援を頼っていたことだろう。

これはあれだ。原爆の被災者にも同じことが言えると私は勝手に思っている。原爆の被災者は個々からここまでですよと国が決めたラインがあって、その中にいるひとは自他ともに認める被爆者なのだが、そのラインを越えているひとはいくら症状があっても下手すれば詐病扱いされ、うまくいけば同情されるか理解されるかして終わる。被爆者だと認められることはない。カネミ油も森永ヒ素ミルクも水俣病も四日市ぜんそくもすべて同じことが起きている。一定ラインに入らない人間は、下手したら人間でいることの尊厳まで奪われると言ってしまったら、言い過ぎだろうか。

結果として、私は合う薬を見つけたため、現在状態はかなり落ち着いているし、ほとんど「健常者」あるいは「ふつう」になったといえるだろう。だからこれを読んでいる読者の方がもし同じような状況でも、そこに必ず希望はある。治ることを、諦めないでほしい。調子がよくなることを、自分にはもう手が届かないと思わないでほしい。生きている限り、生きていて良かったと思える瞬間は、必ず来る。その日が来るまで、どうか生きることを諦めないでほしい。

私は当時から、惨事ストレスという言葉は知っていた。それが自分に当てはまるとも思っていた。ただ、私が報道を見続けたのは、紛れもない、自分だけなにも知らないでのうのうと暮らしたくないし、言葉や文化の壁を越えて、ちゃんと被災者を理解したいと思ったからだ。ただ、どんなに報道を読んだところで、結局誰にも他人のこころなど理解できない。自分だけ幸せになったっていいんだ。幸せになることは、誰にでも与えられた権利なんだ―この言葉は、心理士さんから言われたことだ。彼もまた被災者だ。

「死にたい」「消えたい」と思わなくなる日は、必ず来る。当時その渦中にいた私には見えなかった世界のいろいろな美しい色が見えるようになる日も、必ず来る。ただ、そこまでの道のりは果てしなく遠いし、そしてひとりでは決してたどりつけなかった。